永遠の命と自殺

ブログ開設から1週間経ちました!
少なくとも夏休み中はブログを続けるつもりです


あと、昨日久しぶりに走ってせいで
肩と背中が筋肉痛です
それでは内容!




永遠の命は、遠い昔からの人間の願いです
今日は「すべての生物に永遠の命が宿ったら」をテーマに考えたことを書きます
よくある「永遠の命を得た人がいたら」という仮定に比べ、少し偏った仮定ですが。


まず僕の中での「永遠の命」の定義を書きます
・呼吸ができなくても死なない
・焼かれても死なない
・身をむしられても死なない
・骨を折られても死なない
・とにかく死なない



視点は魚です!
人間の残酷さについて書きます



まず魚が人間に釣られます
釣った後、ちゃんと水に入れてあげる人が多いと思いますが
中には水のないところに放置する人もいるかもしれません
魚「く…苦しい・・・水、水を…」
人「我慢しろ


焼き魚にされます
魚は当然生きているわけで
魚「あ゛あ゛あ゛あ゛づう゛う゛う゛う゛う゛い゛い゛い゛い゛
 焦げてるって!あ゛づい゛あ゛づい゛あ゛づい゛」
人「我慢しろ



身をむしられます
魚は当然生きているわけで
魚「痛い痛い!ちょ、やめろって、おい!」
人「我慢しろ



たまに骨が折れます
魚は当然生きているわけで
魚「あ゛ーーーーーーーー!」
人「我慢しろ



食べ終わったら生ゴミになります
うちは畑に埋めてますが
自治体などが燃やしているところもあると思います
魚は当然生きているわけで
魚「ちょwまたかよwもうやめろって、2回目だぞ」
人「我慢しろ



最終的に埋められます
魚は当然生きているわけで
魚「お前ら、命を粗末にするな!」
人「死んでないからおk




ですよ
きっとこうなると思います


すべての生き物の苦しみを理解できる人間なんて
この世にはいません


でも、だからって開き直ってもいけません
まずは隣にいる人の苦しみを理解してあげなければ




あと、安易に言うことではありませんが
あんな状況では死んだ方がましですね
死ねば苦しみから解放されるでしょうから


(仮定から話をそれます)
「わかったような事を言うな」と言われそうですが
自殺志願者と呼ばれる方たちはみんな、
それ相応の苦しみを背負っています


自殺志願者という存在を完全に理解できているわけではなく
僕の考えが正しいのかはわかりませんが
死にたくても死ねない──苦しむしか選択肢がない──魚より
死のうと思えば死ねる──選択肢が複数ある──人の方が
幸せだと思います
せめて自分が生きた証拠だけでも、
死ぬ前に何か残しておきたいと思えば
苦しみを乗り越えて生きる希望がわいてくるかもしれません


上に書いた魚は周りにされるがまま、ただ苦しんでいます
いくら声を上げても周りの環境は改善されません
でも、現実の人間は違います
周りに逆らうことができます
声を上げるだけでなく行動することができます
それによって環境が改善されるかもしれません
「明日になっても変わらない」
そんなことはドラえもんのような、
未来に行ったことがある人しか言ってはいけません
あなたは普通の人間です
周りの人と何も変わりありません
明日を今日決める権利は誰にもありません
明日は今日ではありません
明日には無限の可能性があります



と、
あなたよりきっと人生経験の少ない子供が
ぼそっと呟いてみました




書き終わって気付きました
食べなくても死なないんだったら
そもそも人間が魚を釣ることはなくなるでしょうね