佐久間勉艇長没後100年

佐久間勉という方をご存じでしょうか
明治時代の大日本帝国海軍の大尉です
潜水艇の艇長で、潜水艇の故障により乗組員13人とともに海底で殉職されました
その際、艇長含む乗組員14人中12人は各自の持ち場で殉職し、
残る2人は故障箇所の修理をしている状態で殉職しました


イタリア海軍ではこれ以前に、潜水艇から脱出しようとした乗組員たちが、
脱出用ハッチ付近で我先にと争いながら死んでいくという、
とても醜い姿をさらすということがありました
佐久間艇長の乗る潜水艇の事故の翌々日、
潜水艇を引き上げる際に、帝国海軍はそういった事態を心配しましたが、
佐久間艇長始め乗組員には一切醜態がなかったため、海軍は安堵したらしいです
乗組員の生死を心配しろよと思いますが、
当時の潜水艇の技術では生存は不可能だったらしいです


佐久間艇長は亡くなる前、手帳に39ページにもわたって、
潜水艇を沈没させてしまったこと、乗組員を死亡させてしまったことに対する、
明治天皇への謝罪と、事故の原因の分析、遺言を書き、
上級幹部・知人の名を記したあと、 12時30分の自身の状態を記し、
「12時40分ナリ」と記して30歳で亡くなりました
このあとも何か書きたかったのかもしれませんが、
そこまでに書かれた内容や艇長含む乗組員の姿は、
国内にとどまらず、海外へも大きな感銘を与えました



佐久間艇長は福井県三方郡八村(現在の若狭町)で生まれ、
僕の通う高校の前身である福井県立小浜尋常中学校を卒業されました
そういう縁で高校の入学式で校長先生から話があったので、
ここでも紹介しておきました
僕の高校の卒業生には、詩人のきむさんもいます
もしかしたら小学校も一緒かもしれません